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[要約編]笹本正治 - 中世の音・近世の音(1990)(編集中)

 

〈書評の構成〉 

 概要・要約・考察出典

 

【概要】

「中世の音・近世の音―鐘の音の結ぶ世界―」は日本史家で当時信州大学助教授の笹本正治(b. 1951)が1990年に著した書籍。中世から近世にかけて,鐘は神と人間を繋ぐものから,人間同士を繋ぐものへと変化した。その変遷を,史料だけでなく民俗学の成果も多分に用いて考察し当時の人びとの感性や感覚を追うことで,中近世の社会・文化を描き出している。

 

(以下は初版より抜粋)

 はじめに

1.これまでの研究

西洋史の成果/日本史の成果/私の問題意識)

2.誓いの鐘をめぐって

(金打について/諏訪神社の宝鈴/御岳金桜神社の起請神文の鐘/小野神社の鐘・中世の誓いと鐘)

3.他界から来た鐘

(水中・龍宮から来た鐘/鐘淵・沈鐘伝説/実際に海中や水中から引き揚げられた鐘

 地中から出た鐘/なぜ鐘が地中や水中と関係するのか)

4.鐘の音の効果

(鐘の起源と形/地獄に落ちた者を救う鐘の音/あの世とこの世を繋ぐ音/雨乞に用いられる鐘/龍頭と龍神鐘の音に対する意識)

5.無間の鐘

遠州の無間の鐘/『河内屋可正旧記』に見る無間の鐘/各地の無間の鐘伝説

 歌舞伎・浄瑠璃と無間の鐘/無間の鐘伝説の成立について)

6.音を出す器具と音の役割

(鈴/鰐口/鉦/鉢/鼓/太鼓/笛/法螺貝/梓弓/琴/釜鳴り/音を出す道具の意味)

7.神仏の出現と音

(神仏の出現や往生の例/天狗や河童の出現と音)

8.夜の世界

(夜に対する意識/民俗事例から見た夜/夜は神々の支配する世界/夜と昼の交錯する黄昏時)

9.鋳物師に対する意識

(炭焼長者の話/鍛冶屋の姥/鍛冶屋や鋳物師の特性/鋳物師に対する意識の変化) 

10.神隠しと鉦や太鼓

(妖怪の出現する時間と場所/神隠し/神隠しにあった人の探し方/鉦や太鼓で探すことの意味/徳政の太鼓の音/入相の鐘)

11.軍器としての鐘や太鼓

(戦争と鐘/陣太鼓/陣鐘/連絡用の鐘/軍器として徴発された鐘/鐘に対する意識の変化)

12.時の鐘

(合図としての鐘の音/時刻を告げる鐘/時間観念の普及/時の鐘の普及/近世の生活の中の時間)

13.寺の増加と山のお寺

(民衆への仏教の浸透/一向宗日蓮宗兵農分離と寺院/近世の民衆生活と寺院/山のお寺)

14.鋳物師の増加

(梵鐘の増加/近世における各地の鋳物師の増加/全国的な鋳物師の動き/鋳物師増加の原因)

15.近世の危急を告げる音

(近世における危急の音/声を立てる/貝と拍子木/鐘/太鼓/板木/共同体としての鐘下)

16.娯楽としての音楽

(音楽の画期/中世までの音楽/戦国時代の音楽/娯楽としての近世の音楽/民衆の娯楽としての音楽) 

おわりに

 

 今回の書評では,特に中世・近世の音空間を考察する上で,

 1.これまでの研究

 4.鐘の音の効果

 5.無間の鐘

 6.音を出す器具と音の役割

 12.時の鐘

 13.寺の増加と山のお寺

 14.鋳物師の増加

 15.近世の危急を告げる音

 おわりに

 以上の項目に絞って検討する。

 

 

【要約】(太字はブログ主が編集したもので,原文にはありません)

 

1.これまでの研究

 日本人の音にたいする意識の歴史的変化は,いかなるものか。

 

西洋史の成果

 ドイツ中世史家の阿部謹也は『甦える中世ヨーロッパ』(1987)の記述で,中世の人々の音を大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(マイクロコスモス)に分類し,脅威的な自然(=大宇宙)から人間界(=小宇宙)を守るために,鐘の力が用いられ,その音は,小宇宙の平和のシンボルであったと同時に,神の声であったと述べた。

 筆者は阿部の視点を評価し,大宇宙と小宇宙の対比構図は日本史にも応用できると言及している。

 

〇日本史の成果

 1979年と80年に行われた阿部謹也網野善彦石井進樺山紘一の対談(『中世の風景』として書籍化)において,阿部の「中世はいかなる音に充ちていたか」という議題で音が取り上げられた。

 神田千里「鐘と中世の人びと」(1980)は,日本史で鐘の音を中核とした最初の論文であり,室町時代の,奈良の興福寺塔頭である観禅院の鐘を取り上げている。ここで鐘は,民衆の自主的なコミュニケーションと政治状況の認識の共有を維持する手段だと仮定した。

 入間田宜夫「逃散の作法」(1980)では鐘が作法の中で用いられたことに触れている。一味神水(いちみしんすい)の作法で鐘が鳴らされ,それが徳政一揆の行動様式に受け継がれたとした。

 峰岸純夫「中世社会と一揆」(1981)では入間田の説を発展させた。金属器具を打ち鳴らすことが,神水とともに誓約の固めの重要な作法であった。さらに峰岸は1982年の「誓約の鐘」という論文で上記を詳述した。この論文で,誓約の証人として神仏が必要であり,「鐘打」という比較的呪術性をもった金属製の音で「神おろし」を実現させようとしたと記述した。

 日本史の音への着目は,一揆における鐘の音にはじまり,契約の場における神仏の来臨へ進んでいった。

 

〇私の問題意識

 近年の日本史学界では音の世界が注目されるようになり,一揆の鐘や徳政の鐘,誓約の鐘などについて様々な成果が出ている。しかしそれぞれは整合化されておらず,中世の音の一端を示すに過ぎず,中世史の範疇を出るものではなく,他の時代との関係が明らかになっていないという問題がある。

 本書では史料だけでなく民俗事例の利用を含めて,人々の鐘の音に対する意識変化を探究する。

 

 

4.鐘の音の効果

 梵鐘は,本来どのような効果・役割を持つものと意識されてきたのか。

 

〇鐘の起源と形

 鐘の定義には様々あるが,本書では

鐘 = 金属製の叩いたり,撞いたり,振ったりして鳴らす器具全体

 として進める。

参考:鐘の大まかな形態分類

 ・梵鐘半鐘・・・・・・外側から叩いて鳴らすもの

 ・鐸ベル・・・・・・・内側から鳴らすもの

 ・鰐口・・・・・・・・・扁平で外側から叩いて鳴らすもの

 ・ハツ・・・・・・・・・平らな形で,2つ打ち鳴らすもの

 ・磬雲板銅鑼・・1枚の金属を外側から叩くもの

 ・鈴・・・・・・・・・・外側が閉じて,内側に入れた金属片などで音を出すもの

 日本に近い鐘の文化を持つ中国では,鐘が古代から青銅製の打楽器として存在し,殷末(BC11世紀)には祖先を祀る礼器として平べったい鐘が現れる。これは形状から執鐘と呼ばれる。この祭祀用の小型の鐘は伝統的に作られたが,六朝時代後半に仏教が普及して衰退し,今日見るような梵鐘に取って代わった。

 この例に限らず,本来鐘は仏教とは関係なく,音を出す金属の楽器全体を言うのだが,日本において梵鐘は仏教と密接な関連をもって想起される。ex. 『平家物語

 

〇地獄に落ちた者を救う鐘の音

 日本における鐘研究の先駆者である坪井良平は,梵鐘の用途について以下のように記述している。

その音声を以て寺院における諸行事の号令をなすことにあるのはいうまでもない。朝夕にはこれを撞いて衆生の迷夢をさまし,諸々の悪業を離れて,仏道に帰依させるのがその目的である。しかし,仏者の説くところによれば,梵鐘を打ち鳴らすことによって生ずる功徳は広大無辺のもので,鐘銘にしばしば現わされている「一打鐘声,当願衆生,断三界苦,得見菩薩」の偈の示すように,一度鐘声を聞く人は,地獄の苦厄をのがれて,すみやかに楽土に至りうるとするのである。これに関する説話で,鐘銘によく見えるのはケイジツタ王,唐僧智興,梁武帝南唐李王の四件である。(坪井良平『日本の梵鐘』(1970) 26頁より)

 坪井が挙げている四つの説話は,鐘の音が地獄に達し,地獄での苦痛をやわらげる効果を持っているという共通点を持つ。このことは日本でも広く知られていた。ex. 『日本霊異記』の智光の記述。智光は阿鼻地獄で煎られるが,鐘の音が聴こえる間だけは熱が冷めて憩うことができる。 

 この観点から除夜の鐘には,現世において煩悩で身を焼いている人間を救うという発想が見出せる。

 

〇あの世とこの世を繋ぐ音 

 伝説にみられる地獄とは他界であり,また地中にあるイメージを持ち,その地中は鐘のやってきた他界の1つとして考えられてきた。ゆえに,梵鐘は此岸と彼岸を音でつなぎうる楽器として存在したのである。

死者を弔う鐘の例

『鴉鷺物語』(室町物語の1つ),『信達民譚集』の記述

死者に逢う鐘の例

春日大社宝物の鐘(死んだ親に逢える),知恩院の鐘(「迎え鐘」の風習),珍皇寺の六道迎鐘,「耳鐘」(民俗語彙で,同い年の者が死ぬ前に耳の奥で鐘の鳴るような音がすること)

死者と交信する鐘の例(宮田登「時と鐘」(1985)より)

天王寺の引導鐘(春秋の彼岸会で,彼岸にメッセージを送るために皆で鐘を撞く)

栃木本光寺の鐘(地獄まで届く)

 

〇雨乞に用いられる鐘

 鐘が雨乞に用いられた例は数多い。とりわけ水中・龍宮からやってきたという伝承のある鐘は,しばしばその用途に付された。雨乞では梵鐘を川や海に沈めたり,囲んで乱打するといったことが行なわれていたようである。また中世の鐘には手荒に扱われ,銘文が解読不能となったものが多いため,現在伝えられている以上に数多い例が存在していたものとみられる。

 

〇龍頭と龍神

 梵鐘が雨乞に用いられる背景には,鐘の最上部に遭って鐘楼に吊るすための構造である龍頭(りゅうず)が,龍(雨を司る神)の形をしているということが考えられる。彼岸の住人の龍が,此岸において梵鐘となって現れたと考えたのであろう(龍神信仰)。

 ちなみに龍頭というのは俗称であり,正しくは蒲牢(想像上の海獣で,クジラに襲われると大声を発することから,鐘について用いられるようになった)という。蒲牢は龍の子供とされ,どちらも水に関係する。

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坪井亮平『梵鐘』(学生社 1976)より「和鐘」の図

 雨乞では梵鐘だけでなく,他の楽器を用いることがある。

鉦鼓踏歌を用いる例:讃岐の天満宮

銅鐸(鐘の一種とされた)を用いる例:尾張藩江戸下屋敷の余慶堂の鐘

(鼓のこと)を用いる例:『塵添埃嚢抄』(室町時代の辞典)における古代中国の記述

 鐘は雨乞だけでなく流行病の場面でも,病気の神を追い出そうという習慣の中で使用された記録がある。

 

〇鐘の音に対する意識

 中世当時の人々にとって,鐘の音は日常の信号音としてよりも,彼岸と此岸を繋ぐ特別な音であった。

 

 

5.無間の鐘

 無間の鐘とは何であるか。

 

遠州の無間の鐘

 全国的に無間の鐘として有名なのは,遠州中山の観音寺の梵鐘である。

 鈴木覚馬の『嶽南史』(1925)によれば,749年遠江国黄道という仙人が大願を発して梵鐘を鋳造し,淡ヶ嶽の絶頂にかけていなくなった。やがてこの鐘を撞けば金銀財宝の富を得るという噂が流布し,ひそかに鐘を撞こうとする者が絶えなかったが,鐘に達する前に深い谷に落ち,無間地獄に落ちる者が次々に現れたため,鐘は無間の鐘と呼ばれるようになった。あるとき行脚の僧侶がこの恐ろしい鐘を地中に埋めてはどうかと言った。人々はその提案を受け入れ,鐘を埋めた上に草庵を建て,観音堂としたという由緒を持っている。

 

河内屋可正旧記』に見る無間の鐘

 『河内屋…』とは,河内国の河内屋五兵衛可正が,1688~1711年に書いた庶民史料。この内の19巻に無間の鐘の話が出てくる。それによれば,仏書にも儒書にも無間の鐘について記したものはないが,それを撞けばかなりの大金持ちになることを昔から言い伝えていると書いている。ここで可正は16世紀の実際の商人の転落を語った上でこれを批判し,「己の胸の鐘を朝夕撞いて,諸行を勤め,無常を忘れ,欲心をもって生を養い,滅法を知らない。万事ひが事をもって寂滅するところは,すなわち無間の鐘である」と評している。

 17世紀後半において無間の鐘伝説は普及していたが,無間とは利欲を求める浅ましい心であるといった経済的・理性的なものとして理解され,神仏の存在や彼岸の世界観は排除されていると言える。

 

各地の無間の鐘伝説

 無間の鐘を撞くことで,富貴を約束されるが,不幸になるという伝説は各所にある。

 信濃では大桑や佐久,佐渡や越後さらに紀伊にもその断片が垣間見れる。

 

〇歌舞伎・浄瑠璃と無間の鐘

 無間の鐘伝説が全国にある背景には,歌舞伎や浄瑠璃などの大衆芸能の役割が大きいと思われる。

 『歌舞伎年代記』によれば,1689(元禄2)年に大坂の荒木座で「傾城小夜中山」という題目の歌舞伎があり,そこで谷島主水が傾城裏葉の役で無間の鐘を撞く所作事を演じて好評を得たとされる。その後も京都早雲座でも無間の鐘のシーンが描かれている。丁度,可正の執筆とも重なる時期である。また1723(享保8)年には道頓堀豊竹座で,人間浄瑠璃に紀海音の「傾城無間鐘」が上演されている。

 無間の鐘をさらに有名にしたのは1728(享保13)年に京都市山座で上演された歌舞伎「けいせい満蔵鑑」である。ここで元祖瀬川菊之丞が庄屋の娘おすまに扮し,手水鉢を鐘になぞらえ,手水掛けで打った所作が,後世の「無間鐘」の基準を成した。その後,同じく菊之丞の「傾城福引名護屋」(1731)や,大阪竹本座で初演された「ひらかな盛衰記」(1740大坂初演,1753江戸初演)が無間の鐘をきわめて有名なものにした。

 また小夜の中山は浄瑠璃歌謡としても広まり,江戸長唄でも「無間の鐘新道成寺」が採録された。その後も1766(明和3)年には近松半二作の浄瑠璃小夜中山鐘由来」が上演,1810(文化7)年には石川雅望策の読本で『梅か枝物語』が出るなど,無間の鐘をモチーフとする作品は次々に制作・上演された。

 

〇無間の鐘伝説の成立について

 その成立は遅くとも中世末までは遡る。中世にも無間の鐘の類型が甲斐の御岳金桜神社などにみられるが,そこでは,裁判や誓い事において嘘・偽りを述べて誓いをした場合には,一部始終を見ている神仏の裁きによって無間地獄に落ちるという世界観であった。つまり,鐘の前で虚偽の主張をすることは,現世では自分の立場を良くできるが,来世において無間地獄の苦しみに遭う

 この「現世での良い状態を得る」という部分が,現世での富貴へと変化して,近世の無間の鐘伝説になったものと思われる。同時に富貴は神仏へ直接願いを立てることであり,第三者的な神仏と接する裁判や誓い事とは事情が異なる。ここには,神仏への恐れの後退という中世後期の風潮も考えられよう。かつては人間を裁く恐れしたがう対象であった神仏が,近世には対等な契約を結ぶ存在へと変化したのである

 

 

6.音を出す器具と音の役割

 此岸と彼岸を結ぶ役割は,鐘だけのものだろうか。

 

 中山太郎は鈴を「神の声」を模した音を出すために作られたのだとし,神社の鈴は人が神に願ったことを神が受け入れたという証拠として聴くために鳴らされると主張している。また荻原秀三郎は,日本の神社の鈴は道教に由来し,天上世界の大神に聴かせることを目的としていると主張している。

 鈴は巫女が持つことが多く,巫女と神とを繋ぐものとして鈴を位置づけることもできよう。鈴は祭礼や神楽あるいは巡礼や占いでも用いられるが,これらは神の来臨を象徴したり,神に人間の行為を伝えるためのものとして考えられ,神仏との交信の手段としての鈴の役割が見出せる。

 

鰐口

 龍宮や水中などの他界からやって来たという伝承が多く,また『明徳記』における誓約の作法では鰐口を用いるよう指南されているなど,梵鐘と共通する部分が多い。

 

 時宗の半僧半俗の徒たち(通称・鉦打)が鉦を鳴らして踊念仏を行ったとされる。また近江の雨乞儀礼や,奄美大島の御嶽での祭礼にも用いられる例がみられる。さらに仏壇の鉦や鈴がひとりでに鳴り,知人の死を知らせるといった伝承も少なくない。

 

 鉢は寺院で用いられる打楽器で,最も有名なのは「信貴山縁起絵巻」で命蓮が法力によって鉢を飛ばすという故事であろう。中世には悪霊を退散する職業として鉢叩きが存在し,また『御伽草子』の「鉢かづき」という説では,鉢は長谷観音仏力の権化として描かれている。

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信貴山縁起絵巻 一部(平群町ホームページより)

 

ここまで金属製の楽器を検討したが,ではそれ以外の楽器はどうだろうか。

 

 南方熊楠や西口順子は,巫女が鼓を用いて神を呼ぶ習俗を指摘している。また『神道集』には予言能力を持った不思議な鼓の記述がある。信州の小谷地方では,異界の存在である河童が人さらいの前に祭をし,そのとき聴こえてくる鼓の音を河童の川鼓といって恐れるという伝承がある。

 

太鼓

 古来より太鼓自体が神聖なものとされ,雨乞に用いられることもある。また瀬戸の周防には虚空太鼓という伝承があり,水難事故で冥土の人となった軽業師たちが旧六月に太鼓を瀬戸に響かせるという。また天狗の伝承や雷様の童話に,太鼓はしばしば登場する。また1758(宝暦8)年に刊行された『斉諧俗談』では1361(慶安元)年に阿波で起きた大地震について記述されており,それによれば干上がった鳴門の海底に周囲30メートルにも及ぶ巨大な太鼓が置いてあり,試しに叩いたところ山崩れがあり潮が湧き出でて,その太鼓の行方は分からなくなったという。これは地震の音と太鼓の音が結び付けられたものであろう。

 

 『日本書紀』にはイザナミノミコトの葬儀で鼓と笛・幡旗を用いて歌い舞ったという記述がある。また『神道集』において,日本最高の笛といわれる青葉笛は鬼から取り上げたものとされ,この世のものではないとされている。また『御伽草子』の「梵天国」や狂言の「吹取」では笛の音が梵天国や神仏の世界に届いたとされているほか,猟夫金谷の伝承で,猟師が鹿笛を吹いて山の怪物を呼んでしまった,『牟書口碑集』には若者が浜で笛を拭いていると海に住む猩々が現れ,その腕前に感心して釣り具を与えたというものもある。

 

法螺貝

 山伏が修行に用いる例や,『紀州有田民俗誌』では雨乞に法螺貝を用いる例がある。

 

〇梓弓

 

〇琴

 

〇釜鳴り

 

〇音を出す道具の意味

 

 

12.時の鐘

(合図としての鐘の音/時刻を告げる鐘/時間観念の普及/時の鐘の普及/近世の生活の中の時間)

13.寺の増加と山のお寺

(民衆への仏教の浸透/一向宗日蓮宗兵農分離と寺院/近世の民衆生活と寺院/山のお寺)

14.鋳物師の増加

(梵鐘の増加/近世における各地の鋳物師の増加/全国的な鋳物師の動き/鋳物師増加の原因)

15.近世の危急を告げる音

(近世における危急の音/声を立てる/貝と拍子木/鐘/太鼓/板木/共同体としての鐘下)

おわりに

 

【考察】 

【出典】

・笹本正治「中世の音・近世の音―鐘の音の結ぶ世界―」名著出版:東京,1990年。