備忘録

本や映画の記録

取り上げる文献の予定

 

【研究プラン0】

鐘学 Campanology 序論 ――歴史・技法・美学

 世界中には様々な鐘が存在し,その音の持つ定時性や響きは人びとのリズムや美意識,宗教観や世界観,帰属意識など文化の根本にかかわる部分に重大な影響を及ぼしていることが予想される。日本の学術界において,鐘についての研究は考古学者の坪井良平や中世民衆史学者の阿部謹也,鋳物師に着目した笹本正治氏の歴史研究などが散見されるが,特にその音楽面への探求は殆どなされていないのが実情である。

 今回は海外の音楽学の一分野である鐘学 Campanology の歴史,研究技法や美学の変化を調査し,今後の課題を明確化することを目指す。例としては歴史的にヨーロッパの鐘の中心地であり,現在カリヨン博物館が置かれているフランドル地方の鐘を中心に取り上げる。将来的には日本の梵鐘研究に繋げることが目標である。

 

 NG2における「鐘」の項目(要出典)

 鐘は一部に音楽史との接近もみられる。

 例えば,リコーダーの名手として知られるオランダ・バロックヤコブファン・エイク Jacob van Eyck(1590? - 1657)はカリヨンの名手で,彼が根城としていたユトレヒトのドム塔 Dom Tower には各国から弟子が集まった。さらに彼は鐘の鋳造と調律の専門家でもあり,フランスのヘモニー兄弟 (Pieter and François Hemony)に調律法を伝授することでカリヨンの技術革新を促した。

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オランダの画家 Joost Cornelisz Droochsloot (1586-1666)によって描かれた1630年のDom Tower

 鐘が「一般の」音楽作品に影響を与えた例としては,例えばロシア・ロマン派のセルゲイ・ラフマニノフ Серге́й Рахма́нинов(1873-1943)は,幼少からノヴゴロドやモスクワで耳にした教会の鐘の音を着想元として合唱交響曲「鐘 Колокола」(1913)を作曲した。本邦でも,黛敏郎の「涅槃交響曲」(1958)において梵鐘のスペクトル解析を元にオーケストラでの再現を試みた「カンパノロジー・エフェクト」などの例がある。

 

【論文】

Léon Germain, Les Anciennes Cloches de Saugues (Haute-Loire) refondues en Lorraine, Nancy, Sidot, 1890.

アラン・コルバン「音の風景」によれば,上記の4ページ目に,鐘についての体系的リストの作成を呼びかける文言がある。レオン・ジェルマンは地方の学者であり,鐘の専門家だけでなく小郡や小教区に関する個別研究にも目を向け,鐘の歴史と,地方の学者たちの仕事を結び付ける絆を強調した。

 P. Leon (カプチン会修道士), L'Ame des cloches, Paris, 1902.

同じくアラン・コルバン「音の風景」によれば,20世紀初頭当時,鐘は戦闘的カトリック教徒たちが展開する闘いの一環として,人々の耳を聾し,敵を黙らせ,「さまざまな悔恨の念を刺激する」ことができると考えられた。また19世紀末には鐘の象徴主義というテーマがさかんに論じられた(出典?)。

 

【書籍】

坪井良平「梵鐘と古文化大八洲出版社:京都,1947。

坪井良平「日本の梵鐘角川書店:東京,1970。

緇川涀城「鐘の話 ー日本の鐘・世界の鐘―」百華苑:京都,1974。

阿部謹也甦える中世ヨーロッパ日本エディタースクール出版部:東京,1987。

若宮信晴「西洋工芸史―古き良き生活文化への誘い文化出版局:東京,1987。

アンドレ・レア,海老沢敏,新宮晋,田村紘三「世界カリヨン紀行」新潮社,東京,1994。

アラン・コルバン音の風景」小倉孝誠訳,藤原書店:東京,1997。

 

[要約編]J.キュイズニエ,M・セガレン - フランスの民族学(1986)

【構成】

 概要・要約・考察(「考察編」にて)・出典

 

【概要】

 フランスの民族学は,人間集団の研究を目的とする。文化的・象徴的な生産と生活技術の研究を通して,人間集団を社会的活動のうちにとらえる。それは,人間科学の領域に属し,社会学,地理学,歴史学などと交流する。フランスの民族学の特性は方法にある。統計的なデータの使用を拒まず,しばしば歴史学者の駆使する文献に依拠しながら,主として「参与観察」を行う。これはフィールドに研究者が個人的にかかわり,馴れ親しむことによって学ぶ方法である。

    今日のフランスの民族学は,長い伝統をもつ民俗学と,文化間の比較を通して人間社会の広がりのなかに恒常性を探求する社会人類学との出会いによって生まれた。文化間の比較によって,研究対象とのあいだに距離をとり,現在の状況をすでに定められた当然のものとして受け取らないことができるようになった。

(本書「はじめに」冒頭)

 

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「フランスの言語地図」

出典 http://ja.myecom.net/french/blog/2015/022894/ 

 

ブルターニュやラングドック等々,様々な言語と民族をかかえたフランスは民族学の格好の対象である。本書ではフランスにおける民俗学民族学の歴史をたどりながら,単一文化幻想が20世紀に打ち壊され,多様性が再発見されていく過程や1986年当時の研究成果が紹介されている。著者のジャン・キュイズニエ Jean CUISENIER (1927-2017)とマルティーヌ・セガレン Martine SEGALEN (1940-)はともに民芸民間伝承博物館(ATP)と国立科学研究センター(CNRS)に拠点を置いた,すぐれたフィールドワーカーであり,研究組織の指導者である。

 

はじめに

第1章 民俗学から民族学

 Ⅰ 対象に距離をおく最初の視点

 Ⅱ アーノルド・ヴァン・ジュネップ 民俗学から民族学への転換点

 Ⅲ 伝承社会の民俗学と未開社会の民族学

第2章 フランスの民族誌と博物館

 Ⅰ 初期の計画とその歩み

 Ⅱ トロカデロ博物館と地方博物館のフランス民族誌 1878~1936年

 Ⅲ 1937年以後のフランスの民族誌と博物館の設置

第3章 フランス民族学に向かって

 Ⅰ 民芸・民間伝承から民族学

 Ⅱ 社会人類学の影響

 Ⅲ 民族学歴史学

第4章 技術と文化

 Ⅰ 人間の住みか

 Ⅱ 自然採取と生産

 Ⅲ 変化と消費

第5章 社会組織

 Ⅰ 学際的な研究

 Ⅱ 研究の新しい枠組みと新しい対象

 Ⅲ 家族と社会的再生産

第6章 表現体系・儀礼・象徴

 Ⅰ 表現の手段

 Ⅱ 慣行・儀礼・象徴

 Ⅲ 習慣と知

 Ⅳ 美学的次元と芸術的創造

結論 

訳者あとがき 

参考文献

 

今回はフランス民族学における文化研究を考察する上で,

はじめに

第1章 民俗学から民族学

 

第2章 フランスの民族誌と博物館

第3章 フランス民族学に向かって

 

第6章 表現体系・儀礼・象徴

結論

訳者あとがき

に絞って検討する。

 

【要約】

 

【出典】

・ジャン・キュイズニエ,マルティーヌ・セガレン「文庫クセジュ フランスの民族学」樋口淳,野村訓子の共訳,白水社:東京,1991年。

[要約編]ミシェル・パストゥロー - 熊の歴史(2007) (編集中)

 

 

【構成】

 概要・要約・考察・出典

 

【概要】

「熊の歴史」はフランスの歴史家で当時高等実習研究院の正教授のミシェル・パストゥロー Michel Pastoureau(b. 1947)が2007年に著した書籍。中世象徴史の大家が,ヨーロッパにおける熊と人間の密接な関係が,時代・地域や社会・文化・宗教の文脈の中でいかなる歴史を辿って来たかを,恐るべき博覧強記で描き出している。

 

(以下は初版より抜粋)

 

動物と向かい合う歴史家

 

畏敬された熊 ――旧石器時代から封建時代まで

 最初の神?

  描かれ彫られたイマージュ

  頭蓋と骸骨

  熊崇拝の宗教

  少なからぬ奇妙な演出

  熊たちの女神アルテミス

  ギリシア神話からケルト神話

 百獣の王

  熊の力

  戦士の勇気

  「ベルセルキール

  名称の力

  名称に関するタブー

  アーサー「王=熊」

  王に相応しい動物

 人類の祖先

  外観の類縁性

  12世紀における動物実験

  熊のセクシュアリティ

  熊と人間の女

  精液に関する議論

  熊の息子

  獣性(動物性)の境界線

 

闘いを挑まれた熊 ――シャルルマーニュからサン・ルイまで

 野獣より強い聖人

  「北方のライオン」

  聖人の随伴者としての熊

  荷物を担ぎ,犂を引く

  羊を飼い大修道院を建てる

  熊の後継者としての聖人

  新しい暦

  熊の祝祭日から蝋燭の祝祭日へ

 悪魔に引き寄せられる熊

  聖書という(無)根拠

  熊の二人の敵:プリニウスアウグスティヌス

  悪魔とその図像

  熊を夢に見る

  褐色にして毛深い

  野獣の肌

 ライオンの戴冠式

  三重の遺産

  多義的な象徴解釈

  紋章の誕生

  紋章上の動物誌

  ノアの方舟

  君主の動物園

  肉体の復活をめぐって

 

王位を剥奪された熊 ――中世末から現代まで

 侮辱された動物

  新しい動物譚

  オオカミ,ライオン,そしてキツネ

  一人の王の失墜

  熊の死

  サーカス小屋の獣

  愚鈍から憂鬱へ

  悪徳に塗れた被造物

  七つの大罪の中の五つ

 君主の想像,婦人たちの幻想

  14世紀に見る狩猟と精神分析

  シカの栄誉

  新たな標章

  熊とハクチョウ

  熊を愛でる大公

  火炎と体毛

  未開人オルソン

 山から博物館へ

  魔女たちの動物図鑑

  恋する熊

  紋章論から寓意譚へ

  残酷な諺

  「語る図像」

  博物学者たちの困惑

  博物館に幽閉される生存者たち

  民族学者たちのお気に入り

  猛獣の悲惨と苦悩

 

熊の反撃

 

訳者あとがき

 

 

 

 今回は,特に中世以前のヨーロッパにおける熊崇拝を考察する上で,

  動物と向かい合う歴史家

  畏敬された熊 ――旧石器時代から封建時代まで

   最初の神?

   百獣の王

   人類の祖先

  訳者あとがき

 以上の項目に絞って検討する。

 

【要約】(太字は要約者)

 

動物と向かい合う歴史家

 

畏敬された熊 ――旧石器時代から封建時代まで

   最初の神?

   百獣の王

   人類の祖先

 

訳者あとがき

 本書はMichel Pastoureau, L'ours. Histoire d'un roi déchu, Paris, Édition du Seuil, 2007の全訳である。また本書がパストゥローの仕事全体に占める位置を理解するうえで『ヨーロッパ中世象徴史』(篠田勝英訳)はこの上ない知的鳥観図を提供してくれると訳者は語っている。

 パストゥローは,ゲルマンやケルトの諸民族により,あるいは北欧(スカンディナビアやラップランド)にまで及ぶ広義のヨーロッパの随所において,既に三万年前(旧石器時代)の太古より,熊を百獣の王として崇敬する諸儀礼が実践されていた節がある,と筆を起こす。だがその後,ラテン的ヨーロッパ(キリスト教的西洋)が主として8世紀から12世紀に亘る時期に,熊に執拗な攻撃を仕掛け,この巨大な野獣から王座の地位を奪い,それを異国に由来するがゆえに土着的密接性を持たないライオン(獅子)に譲り渡す過程を,歴史家は説得的に論証してみせる。(p.372)

 そして中世キリスト教によって認められた,熊崇拝の異教性が説明される。

 キリスト教は,その自らの宗教的内実を西洋世界に刻印するために,ヨーロッパ土着の熊崇拝,とりわけ,熊狩りに内在する宗教的儀礼性や,これから戦闘に臨む諸集団に見られる,「野蛮」で「トーテム的」な祭事を,徹頭徹尾,駆逐する戦略を採用した。熊を,卓越した力の源泉と見なし,その力に与るために,捕獲した熊の毛皮を被りその「超人的能力」を吸収する儀式や,熊の身体の一部を装飾的に纏い,この野獣の魔術的機能を自身の身体に取り込もうとする祭儀,さらには,熊の血を摂取して,その内奥に宿る神秘的な力を我が物にしようとする儀礼は,換言すれば,熊を神格化するほどに崇敬する熱情は,言わば「父と子と聖霊」の絶対的無限性と,常に矛盾し背馳する宿命にある(p.372) 

 ゆえに熊は中世末から脱神聖化され,図像学的には悪魔の世界に追いやられ,文学や民間伝承では嘲笑され,その威厳を完全に剥奪された。しかし20世紀に入ると熊は逆襲を始めるのである。

しかし,20世紀に入ると,テディーベアーに代表される縫いぐるみとして,熊は再び人間社会の中で蘇生し,アームストロングが時の人となった1969年には,人類とともに月世界への旅まで果たす(もちろん縫いぐるみとして)。こうして熊は,皮肉にもその種が絶滅の危機を迎えつつある時期に,象徴的な「復讐(ないし復活)」を遂げるに至ったのだ。(p.372)

 ラテン的ヨーロッパの異教排斥は必ずしも順風満帆ではなったし,土着の信仰がキリスト教との間で見せた斥力を描写しようとする歴史学的試みは,マイクロヒストリーの旗手カルロ・ギンズブルグが復元した「粉挽屋メノッキオ」のアニミズム的宗教観に限らず,既に見られることである。

 中でもパストゥローの本書が特別なのは,「熊」という一般的にはキリスト教ー異教の二項対立とは無縁に思われる動物に着眼し,それを中核に定め,動物のシンボリックな「権力闘争」の背後に浮かび上がる,西洋精神の深部で繰り広げられた激闘を,歴史学のリングで可視化したことである。

 また熊崇拝といえばアイヌ民族における信仰と民俗が思い浮かぶ読者も多いだろうが,もちろんパストゥローもアイヌに言及してはいるものの,比較人類学的にヨーロッパ以外の諸民族の例を探索することは極力禁欲している。この方針のために,ヨーロッパという一地方において熊が辿った運命と,その背後に活発に脈打つ宗教的因由とを,至極鮮明に示すことが可能であったと言えよう。

 

【考察】

【出典】

ミシェル・パストゥロー「熊の歴史―― 〈百獣の王〉にみる西洋精神史」平野隆文訳,筑摩書房:東京,2014年。

 

[要約編]アラン・コルバン - 音の風景(1994) (編集中)

【構成】

 概要・要約・考察(「考察編」にて)・出典

 

【概要】

「音の風景」はフランスの歴史家で当時パリ・ソルボンヌ大学教授のアラン・コルバン Alain CORBIN (b.1936)が1994年に著した書籍。19世紀フランスの田舎では,鐘にまつわる事件が多発していた。特に感性に注目した歴史研究で知られる著者が,フランス中の公文書館の史料から明らかにしたもう1つのフランス近代史。

 

(以下は初版より抜粋)

 

日本語版への序文

非現代的なものの探究

 

1.音のアイデンティティーの擁護

 第1章 感性の文化を変えることの不可能性

  音のネットワークの密度

  交換の時代

  感覚の支配力の弱体化

  空間と時間の世俗化

  反対派の勝利

 第2章 「鐘の略奪者」

  町の自尊心

  市町村どうしの鐘楼をめぐる争い

  鐘の取り外しとアイデンティティーの混乱

  敵愾心,憎悪,怨恨の入れ子構造

 

2.お国びいきの心性

 第1章 共同体の鐘

  アイデンティティーを示す象徴

  村における鐘の鋳造

 第2章 農民の聴覚の指標

  鐘,空間,地域

  (中心と境界/天使の道)

  交錯した生活リズム

  (時間の正確さと感覚的印象/典礼年の区切り,儀式の時間/音が織りなす日々)

  社会的差異の露呈

  (鐘を読む/誇りの鐘)

 第3章 真実の厚み

  情報のアンシャン・レジーム

  (音の戸籍簿/「役場の説教」)

  集合命令

  警報の普及

  喜びの鐘の管理

 

3.鐘を鳴らす力

 第1章 地方的紛争の争点

  侮辱されることへの恐れ

  地域の象徴的統合

 第2章 音のメッセージの統制

  時計の鐘,時計装置,時計

  鐘つき人の誇り

  鍵,扉,網をめぐる事件

 第3章 主要な「衝突」

  「鐘なしの」埋葬

  国家的な鐘

 

歴史の対位法

 推論された感性から公言された感性へ

  ロマン主義時代の鐘

  鐘に関する探索と鐘の象徴体系

  音にたいする不寛容と眠る権利

 

原注

付図

史料一覧

訳者あとがき

 

 

 今回の要約では,特に近代フランスの音空間と文化表象の連関を考察するため,

 2.お国びいきの心性

  第1章 共同体の鐘

  第2章 農民の聴覚の指標

  第3章 真実の厚み

 歴史の対位法

  推論された感性から公言された感性へ

 訳者あとがき

 以上の項目に絞り,またアラン・コルバンによる感性史研究の前後を俯瞰して考察に生かすため,2018年に岩波書店の『思想』誌にて発表された,訳者・小倉孝誠の論文である,

 アラン・コルバン歴史学の転換

 を要約に含めて検討する。

 

 

【要約】

2.お国びいきの心性

 第1章 共同体の鐘

  アイデンティティーを示す象徴

  村における鐘の鋳造

 第2章 農民の聴覚の指標

  鐘,空間,地域

  (中心と境界/天使の道)

  交錯した生活リズム

  (時間の正確さと感覚的印象/典礼年の区切り,儀式の時間/音が織りなす日々)

  社会的差異の露呈

  (鐘を読む/誇りの鐘)

 第3章 真実の厚み

  情報のアンシャン・レジーム

  (音の戸籍簿/「役場の説教」)

  集合命令

  警報の普及

  喜びの鐘の管理

 

歴史の対位法

〇推論された感性から公言された感性へ

 直接的な証言だけでなく,社会的慣習,象徴的なものの管理,紛争の構図,集団的な情動の表れなどを研究することにより,我々は大地の鐘に対する評価体系やその変化を把握しようと試みた。

 その結果明らかになったのは,共同体のアイデンティティーと団結力の象徴である鐘という聖なる物体に対して,人々が強い執着を持っていたということである。鐘楼と鐘は当然のことのように,風景という財産をかたちづくる重要な構成要素と見なされたのである。当時変わりつつあった墓地と同じように,鐘楼と鐘は死者と生者を結び付ける絆を明らかにしてくれる。農民の生活リズム,管轄区域のたしかな境界,さまざまなヒエラルキーの表れにたいする同意や反発,そしてとりわけ,風聞と同じ程度にコミュニケーションの方法を構造化しているレトリックの複雑さなどは,鐘を詳しく研究しないかぎり正確に認識することはできない。(p.353)

 古文書館での調査結果をもって,我々は鐘の剥奪によって引き起こされる怒りの激しさを強調することになった。 鐘を鳴らさないという方針は個人を傷つけ,家族の名誉を損ない,村の鐘が鳴らないことは集団生活にたいする侵害と見なされたのである。一方で,鐘に具わる情動的な力もそこに確認できる。

 鐘の使用を総括すること,鐘楼の鍵を所有すること,鐘の綱に近づけることは,市町村という小宇宙を揺さぶる権力闘争の展開において,重大な争点になるのである。しかも,こういった争いはときとして,包括的な構造に組み込まれることへの諾否を表している。(p.354)

 このように集団の身振りや行動から引き出される感性の歴史(=推論された感性)と並行して,別の歴史も存在している。村の鐘に関心をむけた外部の観察者たち(詩人や旅人,考古学者,ジャーナリスト,民俗学者など)が残した資料に依拠して構築される歴史(=公言された感性)である。

 

ロマン主義時代の鐘

 ロマン主義の作家たちは,様々な情動が社会的に流通することを権利として明瞭に要求している。

 彼らにとって大地の鐘を称揚することは,調和と出会いを祝うための機会であり,鐘による音のレトリックを美的なものにするための努力と鐘に対する共通の礼賛という点で結びつく,民衆と詩人の出会いであった。そして1860年代以降には,ロマン主義的表象の衰退とともに,鐘は多くの人たちにとって無意味で煩わしいものとなり,不寛容さが高まっていく。

 ロマン主義的な感情の系譜はゲルマン由来で,18世紀末にゲーテやシラーの重要な作品が鐘をめぐる文学の常套句を素描し,以後半世紀わたってそれが流布した。それまで宗教的な象徴性に従い,ルネサンス以来「鐘の鳴る都市」の称揚を基準とした評価体系が,彼らドイツ・ロマン派詩人によって刷新されたのである。

 ドイツ・ロマン派の詩における鐘のモチーフは,主要テーマどうしの対位法や緊張状態に取り込まれる例が目立つ。たとえばシラーは鐘と大地(鉱山の深部など)との結びつきを称賛した。また鐘は人生の諸段階を要約し,作品内で通過儀礼の機能を持つ例がある。鐘の懐胎(地中の母胎)・合金の融合(結婚の象徴)・早鐘(生の悲劇)・弔鐘(他者の死と大地への回帰)などはシラーの詩によくみられる表象である。特にシラーの詩では,鐘はカオスに対する勝利,共同体の団結力の象徴として描かれていることがみてとれる。一方のゲーテの詩では,鐘は様々な規律を内面化するための手段とみなし,子供の見る悪夢の中で,両親の命令を思い起こさせるような重々しい青銅の鐘が追いかけてくる,といった表象がある。

 一方のフランス・ロマン派では,鐘の音が人々の心をときめかせ,涙を溢れさせるような喚起力を好んで強調する傾向にある。故郷の鐘の響きの思い出は,存在の意識や自己記憶の最初の表れと混然一体になるのである。そのために,鐘は存在を要約し,さまざまな思い出を糾合するように促し,忘却の不可能性を証明し,過去の現前と未来の予感を結び付けることにより,鐘の音は《二度とふたたび》という意識の苦痛を強めるものとして表象される。鐘はまた,原初の女性性(フェミニテ)をも喚起するのでもある。こうした鐘の感性の守護的英雄として,ナポレオン1世が挙げられる。プーリエンヌ『回想録』や『セント・ヘレナの回想』の一節にそれを認めることができる。

 1831年ヴィクトル・ユゴーは,鐘の常套表現に,その響きをめぐる歴史的な機能と時代の多様性を語る能力を付与した。それは彼の作品『ノートル=ダム・ド・パリ』にみることができる。

 鐘は民衆の発見や,民衆との出会いの可能性を期待させてくれる。群衆の動きを喚起するときには,ロッシーニマイアベーアヴェルディといったロマン主義の音楽家たちも鐘を使用したロッシーニは『ウィリアム・テル』の第二幕の合唱の場面で,マイアベーアは『ユグノー』第四幕で新教徒虐殺の合図のために,そしてヴェルディは『イル・トロヴァトーレ』の「ミセレーレ」の場面で,それぞれ鐘を使用している)。

 1848年にヴォージュ県の共和国代表委員が記述するところによれば,

一般に,田舎の住民は鐘の音が好きだ。鐘楼から鐘の響きが聞こえてくると,住民の精神は瞑想にふけったり,昂揚したりする。厳かな儀式の際には,鐘の大きな音に好んでみずからの興奮の叫び声を交じり合わせる。(p.359)

 とあるように,鐘は集団的記憶の支えと見なされているのである。

 泉や池や深淵と同様に,民衆の記憶のなかに根付いた鐘は,もっとも多くの伝説を生み出す物体,あるいは場である。そのため,隠された鐘,地中に埋められた鐘,水の中に沈められた鐘が,地中や水中でも鳴り続ける,あるいは響き渡るといった伝説が各地にある。

 また鐘の音は,ロマン主義作家たちが求める民衆の根源的な言語の性質を帯びており,田舎の人々は鐘の音の中に言葉を聞き取り,さまざまな鐘がお互いにおしゃべりすると想像していた。さらに鐘は元々聖人崇拝と密接に結びついている。民衆の耳には鐘が予言的な意味を持って聴こえることが報告されており,19世紀に鐘と根源的なものを結び付ける様々な言語,信念,情動などの探究がなされた。

 

〇鐘に関する探索と鐘の象徴体系

〇音にたいする不寛容と眠る権利

訳者あとがき

 

 

アラン・コルバン歴史学の転換

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Alain Corbin 近影(Getty Imagesより)

歴史学界におけるコルバンの位置

 コルバンは「感性の歴史学」「感性文化の歴史学」を推進し,現代においてその先頭に立つ歴史家として知られる。2016年には「ブガン叢書」に『感覚の歴史学』と題した論考が収められた。ブガン叢書に存命人物の書物に含められるのは極めてまれであり,彼の著作が歴史学の古典として聖別されたことを示している。現在,最も高名なフランス人歴史家と言えよう。

 今でこそ感性史の旗手として知られるコルバンは,伝統的な経済史,社会史の研究から出発している。若きコルバンは中部リモージュのリセで教えた後,ソルボンヌの教授であったエルネスト・ラブルースを指導教授として1973年に博士論文『19世紀リムーザン地方における伝統と近代性(1845-1880)』を提出し,2年後に刊行された。19世紀,地方や田舎への関心,近代性の表象の変遷は,以後の研究にも通底する要素である。

 転機になったのは『娼婦』(1978)と『においの歴史』(1982)である。前者はパリとセーヌ県の売買春を多角的に論じ,後者は嗅覚という,それまで視覚や聴覚よりも低俗とされた感覚をめぐって論じた。そして1987年に刊行された『私生活の歴史』(アリエス/デュビー監修 未邦訳)のうち19世紀を扱った第4巻で,コルバンは政治・経済・外交・軍事・社会制度からは距離を置き,個人と集団の私生活や情動や感覚体験のレベルで何が生起し,変貌したかを説得的に論じた「舞台裏」を掲載する。1980年代中葉,コルバン歴史学の主要なテーマ(身体,性,医学的言説,内面性,情動)が出そろうことになった。

 コルバンは1986年から2001年までパリ・ソルボンヌ大学で19世紀の講座を担当した後,80歳を過ぎた現在まで著作活動に専念している。近著に,雨に対する人びとの感性を論じた『雨の歴史』(2017)がある。

 

〇感性の歴史の輪郭

 コルバンの研究はまったくの無から出発したのではない。1938年の時点で,アナール派の創設者リュシアン・フェーヴルは「感性と歴史学」と題した論考の中で,従来歴史学では個人的で歴史性が乏しいと見做されてきた感情や感性社会的・文化的な位相を認め,感性史研究の意義を強調している。その悲願は20世紀後半に,ジョルジュ・デュビーのが愛の歴史を,フィリップ・アリエスやミシェル・ヴェヴェルが死の歴史を,ジャン・ドリュモーが恐怖心の歴史を綴ることで具現化していった。コルバンの研究は,自身による「感性の歴史の系譜」(1992)という長い論文の中に,それまでの感性史研究との繋がりを概観することができる。

コルバンは「感性の歴史の系譜」の中で,まずリュシアン・フェーヴルとミシェル・フーコーを重要視している。フーコーは,近代の権力装置は性をめぐる言説を意図的に増殖させたと主張しているが,コルバンはこれに対して,言説とは別の次元で,性は権力と道徳によって監視されてきたと反論を行っている。

 第三に重要視された人物として,ドイツの歴史家ノルベルト・エリアスが挙げられている。エリアスは歴史学の重要な責務は「欲動の構造,情動と情念の方向づけや形態」を分析することだと主張している。またエリアスは,西洋人の感性が次第に研ぎ澄まされ,卑俗から洗練へ,暴力から自己抑制へ,放縦から自己管理に移行するのが文明化の過程であり,中世から近代まで当てはまると説明したが,コルバンはこのことが当てはまるのは中世から17世紀の古典主義時代頃までに限定され,歴史は直線的ではないと留保づけている。

 感性史とその他の歴史研究は,明確に区別できるものではない。デュビーやドリュモーに代表される心性史(一般の人々の心的,感情的態度を分析する)や,感覚の作用をめぐる歴史人類学の一分野,文化史,自然や社会の表象史は,感性の歴史と深いつながりを持っている。

 

コルバンの仕事 ――五つの領域

1.身体と性をめぐる歴史

2.感覚と感性の歴史

3.感情や情動の歴史

4.人間と自然の関わりに焦点をあてた歴史

5.近代フランスの地方や田舎における人々の感性文化と世界観についての歴史

 

〇集大成と展望

 

 

【考察】

【出典】

アラン・コルバン「音の風景」小倉孝誠訳,藤原書店:東京,1997年。

小倉隆誠「アラン・コルバン歴史学の転換」(『思想 2018年第1号』所収,岩波書店:東京,2018年)

 

[要約編]笹本正治 - 中世の音・近世の音(1990)(編集中)

 

〈書評の構成〉 

 概要・要約・考察出典

 

【概要】

「中世の音・近世の音―鐘の音の結ぶ世界―」は日本史家で当時信州大学助教授の笹本正治(b. 1951)が1990年に著した書籍。中世から近世にかけて,鐘は神と人間を繋ぐものから,人間同士を繋ぐものへと変化した。その変遷を,史料だけでなく民俗学の成果も多分に用いて考察し当時の人びとの感性や感覚を追うことで,中近世の社会・文化を描き出している。

 

(以下は初版より抜粋)

 はじめに

1.これまでの研究

西洋史の成果/日本史の成果/私の問題意識)

2.誓いの鐘をめぐって

(金打について/諏訪神社の宝鈴/御岳金桜神社の起請神文の鐘/小野神社の鐘・中世の誓いと鐘)

3.他界から来た鐘

(水中・龍宮から来た鐘/鐘淵・沈鐘伝説/実際に海中や水中から引き揚げられた鐘

 地中から出た鐘/なぜ鐘が地中や水中と関係するのか)

4.鐘の音の効果

(鐘の起源と形/地獄に落ちた者を救う鐘の音/あの世とこの世を繋ぐ音/雨乞に用いられる鐘/龍頭と龍神鐘の音に対する意識)

5.無間の鐘

遠州の無間の鐘/『河内屋可正旧記』に見る無間の鐘/各地の無間の鐘伝説

 歌舞伎・浄瑠璃と無間の鐘/無間の鐘伝説の成立について)

6.音を出す器具と音の役割

(鈴/鰐口/鉦/鉢/鼓/太鼓/笛/法螺貝/梓弓/琴/釜鳴り/音を出す道具の意味)

7.神仏の出現と音

(神仏の出現や往生の例/天狗や河童の出現と音)

8.夜の世界

(夜に対する意識/民俗事例から見た夜/夜は神々の支配する世界/夜と昼の交錯する黄昏時)

9.鋳物師に対する意識

(炭焼長者の話/鍛冶屋の姥/鍛冶屋や鋳物師の特性/鋳物師に対する意識の変化) 

10.神隠しと鉦や太鼓

(妖怪の出現する時間と場所/神隠し/神隠しにあった人の探し方/鉦や太鼓で探すことの意味/徳政の太鼓の音/入相の鐘)

11.軍器としての鐘や太鼓

(戦争と鐘/陣太鼓/陣鐘/連絡用の鐘/軍器として徴発された鐘/鐘に対する意識の変化)

12.時の鐘

(合図としての鐘の音/時刻を告げる鐘/時間観念の普及/時の鐘の普及/近世の生活の中の時間)

13.寺の増加と山のお寺

(民衆への仏教の浸透/一向宗日蓮宗兵農分離と寺院/近世の民衆生活と寺院/山のお寺)

14.鋳物師の増加

(梵鐘の増加/近世における各地の鋳物師の増加/全国的な鋳物師の動き/鋳物師増加の原因)

15.近世の危急を告げる音

(近世における危急の音/声を立てる/貝と拍子木/鐘/太鼓/板木/共同体としての鐘下)

16.娯楽としての音楽

(音楽の画期/中世までの音楽/戦国時代の音楽/娯楽としての近世の音楽/民衆の娯楽としての音楽) 

おわりに

 

 今回の書評では,特に中世・近世の音空間を考察する上で,

 1.これまでの研究

 4.鐘の音の効果

 5.無間の鐘

 6.音を出す器具と音の役割

 12.時の鐘

 13.寺の増加と山のお寺

 14.鋳物師の増加

 15.近世の危急を告げる音

 おわりに

 以上の項目に絞って検討する。

 

 

【要約】(太字はブログ主が編集したもので,原文にはありません)

 

1.これまでの研究

 日本人の音にたいする意識の歴史的変化は,いかなるものか。

 

西洋史の成果

 ドイツ中世史家の阿部謹也は『甦える中世ヨーロッパ』(1987)の記述で,中世の人々の音を大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(マイクロコスモス)に分類し,脅威的な自然(=大宇宙)から人間界(=小宇宙)を守るために,鐘の力が用いられ,その音は,小宇宙の平和のシンボルであったと同時に,神の声であったと述べた。

 筆者は阿部の視点を評価し,大宇宙と小宇宙の対比構図は日本史にも応用できると言及している。

 

〇日本史の成果

 1979年と80年に行われた阿部謹也網野善彦石井進樺山紘一の対談(『中世の風景』として書籍化)において,阿部の「中世はいかなる音に充ちていたか」という議題で音が取り上げられた。

 神田千里「鐘と中世の人びと」(1980)は,日本史で鐘の音を中核とした最初の論文であり,室町時代の,奈良の興福寺塔頭である観禅院の鐘を取り上げている。ここで鐘は,民衆の自主的なコミュニケーションと政治状況の認識の共有を維持する手段だと仮定した。

 入間田宜夫「逃散の作法」(1980)では鐘が作法の中で用いられたことに触れている。一味神水(いちみしんすい)の作法で鐘が鳴らされ,それが徳政一揆の行動様式に受け継がれたとした。

 峰岸純夫「中世社会と一揆」(1981)では入間田の説を発展させた。金属器具を打ち鳴らすことが,神水とともに誓約の固めの重要な作法であった。さらに峰岸は1982年の「誓約の鐘」という論文で上記を詳述した。この論文で,誓約の証人として神仏が必要であり,「鐘打」という比較的呪術性をもった金属製の音で「神おろし」を実現させようとしたと記述した。

 日本史の音への着目は,一揆における鐘の音にはじまり,契約の場における神仏の来臨へ進んでいった。

 

〇私の問題意識

 近年の日本史学界では音の世界が注目されるようになり,一揆の鐘や徳政の鐘,誓約の鐘などについて様々な成果が出ている。しかしそれぞれは整合化されておらず,中世の音の一端を示すに過ぎず,中世史の範疇を出るものではなく,他の時代との関係が明らかになっていないという問題がある。

 本書では史料だけでなく民俗事例の利用を含めて,人々の鐘の音に対する意識変化を探究する。

 

 

4.鐘の音の効果

 梵鐘は,本来どのような効果・役割を持つものと意識されてきたのか。

 

〇鐘の起源と形

 鐘の定義には様々あるが,本書では

鐘 = 金属製の叩いたり,撞いたり,振ったりして鳴らす器具全体

 として進める。

参考:鐘の大まかな形態分類

 ・梵鐘半鐘・・・・・・外側から叩いて鳴らすもの

 ・鐸ベル・・・・・・・内側から鳴らすもの

 ・鰐口・・・・・・・・・扁平で外側から叩いて鳴らすもの

 ・ハツ・・・・・・・・・平らな形で,2つ打ち鳴らすもの

 ・磬雲板銅鑼・・1枚の金属を外側から叩くもの

 ・鈴・・・・・・・・・・外側が閉じて,内側に入れた金属片などで音を出すもの

 日本に近い鐘の文化を持つ中国では,鐘が古代から青銅製の打楽器として存在し,殷末(BC11世紀)には祖先を祀る礼器として平べったい鐘が現れる。これは形状から執鐘と呼ばれる。この祭祀用の小型の鐘は伝統的に作られたが,六朝時代後半に仏教が普及して衰退し,今日見るような梵鐘に取って代わった。

 この例に限らず,本来鐘は仏教とは関係なく,音を出す金属の楽器全体を言うのだが,日本において梵鐘は仏教と密接な関連をもって想起される。ex. 『平家物語

 

〇地獄に落ちた者を救う鐘の音

 日本における鐘研究の先駆者である坪井良平は,梵鐘の用途について以下のように記述している。

その音声を以て寺院における諸行事の号令をなすことにあるのはいうまでもない。朝夕にはこれを撞いて衆生の迷夢をさまし,諸々の悪業を離れて,仏道に帰依させるのがその目的である。しかし,仏者の説くところによれば,梵鐘を打ち鳴らすことによって生ずる功徳は広大無辺のもので,鐘銘にしばしば現わされている「一打鐘声,当願衆生,断三界苦,得見菩薩」の偈の示すように,一度鐘声を聞く人は,地獄の苦厄をのがれて,すみやかに楽土に至りうるとするのである。これに関する説話で,鐘銘によく見えるのはケイジツタ王,唐僧智興,梁武帝南唐李王の四件である。(坪井良平『日本の梵鐘』(1970) 26頁より)

 坪井が挙げている四つの説話は,鐘の音が地獄に達し,地獄での苦痛をやわらげる効果を持っているという共通点を持つ。このことは日本でも広く知られていた。ex. 『日本霊異記』の智光の記述。智光は阿鼻地獄で煎られるが,鐘の音が聴こえる間だけは熱が冷めて憩うことができる。 

 この観点から除夜の鐘には,現世において煩悩で身を焼いている人間を救うという発想が見出せる。

 

〇あの世とこの世を繋ぐ音 

 伝説にみられる地獄とは他界であり,また地中にあるイメージを持ち,その地中は鐘のやってきた他界の1つとして考えられてきた。ゆえに,梵鐘は此岸と彼岸を音でつなぎうる楽器として存在したのである。

死者を弔う鐘の例

『鴉鷺物語』(室町物語の1つ),『信達民譚集』の記述

死者に逢う鐘の例

春日大社宝物の鐘(死んだ親に逢える),知恩院の鐘(「迎え鐘」の風習),珍皇寺の六道迎鐘,「耳鐘」(民俗語彙で,同い年の者が死ぬ前に耳の奥で鐘の鳴るような音がすること)

死者と交信する鐘の例(宮田登「時と鐘」(1985)より)

天王寺の引導鐘(春秋の彼岸会で,彼岸にメッセージを送るために皆で鐘を撞く)

栃木本光寺の鐘(地獄まで届く)

 

〇雨乞に用いられる鐘

 鐘が雨乞に用いられた例は数多い。とりわけ水中・龍宮からやってきたという伝承のある鐘は,しばしばその用途に付された。雨乞では梵鐘を川や海に沈めたり,囲んで乱打するといったことが行なわれていたようである。また中世の鐘には手荒に扱われ,銘文が解読不能となったものが多いため,現在伝えられている以上に数多い例が存在していたものとみられる。

 

〇龍頭と龍神

 梵鐘が雨乞に用いられる背景には,鐘の最上部に遭って鐘楼に吊るすための構造である龍頭(りゅうず)が,龍(雨を司る神)の形をしているということが考えられる。彼岸の住人の龍が,此岸において梵鐘となって現れたと考えたのであろう(龍神信仰)。

 ちなみに龍頭というのは俗称であり,正しくは蒲牢(想像上の海獣で,クジラに襲われると大声を発することから,鐘について用いられるようになった)という。蒲牢は龍の子供とされ,どちらも水に関係する。

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坪井亮平『梵鐘』(学生社 1976)より「和鐘」の図

 雨乞では梵鐘だけでなく,他の楽器を用いることがある。

鉦鼓踏歌を用いる例:讃岐の天満宮

銅鐸(鐘の一種とされた)を用いる例:尾張藩江戸下屋敷の余慶堂の鐘

(鼓のこと)を用いる例:『塵添埃嚢抄』(室町時代の辞典)における古代中国の記述

 鐘は雨乞だけでなく流行病の場面でも,病気の神を追い出そうという習慣の中で使用された記録がある。

 

〇鐘の音に対する意識

 中世当時の人々にとって,鐘の音は日常の信号音としてよりも,彼岸と此岸を繋ぐ特別な音であった。

 

 

5.無間の鐘

 無間の鐘とは何であるか。

 

遠州の無間の鐘

 全国的に無間の鐘として有名なのは,遠州中山の観音寺の梵鐘である。

 鈴木覚馬の『嶽南史』(1925)によれば,749年遠江国黄道という仙人が大願を発して梵鐘を鋳造し,淡ヶ嶽の絶頂にかけていなくなった。やがてこの鐘を撞けば金銀財宝の富を得るという噂が流布し,ひそかに鐘を撞こうとする者が絶えなかったが,鐘に達する前に深い谷に落ち,無間地獄に落ちる者が次々に現れたため,鐘は無間の鐘と呼ばれるようになった。あるとき行脚の僧侶がこの恐ろしい鐘を地中に埋めてはどうかと言った。人々はその提案を受け入れ,鐘を埋めた上に草庵を建て,観音堂としたという由緒を持っている。

 

河内屋可正旧記』に見る無間の鐘

 『河内屋…』とは,河内国の河内屋五兵衛可正が,1688~1711年に書いた庶民史料。この内の19巻に無間の鐘の話が出てくる。それによれば,仏書にも儒書にも無間の鐘について記したものはないが,それを撞けばかなりの大金持ちになることを昔から言い伝えていると書いている。ここで可正は16世紀の実際の商人の転落を語った上でこれを批判し,「己の胸の鐘を朝夕撞いて,諸行を勤め,無常を忘れ,欲心をもって生を養い,滅法を知らない。万事ひが事をもって寂滅するところは,すなわち無間の鐘である」と評している。

 17世紀後半において無間の鐘伝説は普及していたが,無間とは利欲を求める浅ましい心であるといった経済的・理性的なものとして理解され,神仏の存在や彼岸の世界観は排除されていると言える。

 

各地の無間の鐘伝説

 無間の鐘を撞くことで,富貴を約束されるが,不幸になるという伝説は各所にある。

 信濃では大桑や佐久,佐渡や越後さらに紀伊にもその断片が垣間見れる。

 

〇歌舞伎・浄瑠璃と無間の鐘

 無間の鐘伝説が全国にある背景には,歌舞伎や浄瑠璃などの大衆芸能の役割が大きいと思われる。

 『歌舞伎年代記』によれば,1689(元禄2)年に大坂の荒木座で「傾城小夜中山」という題目の歌舞伎があり,そこで谷島主水が傾城裏葉の役で無間の鐘を撞く所作事を演じて好評を得たとされる。その後も京都早雲座でも無間の鐘のシーンが描かれている。丁度,可正の執筆とも重なる時期である。また1723(享保8)年には道頓堀豊竹座で,人間浄瑠璃に紀海音の「傾城無間鐘」が上演されている。

 無間の鐘をさらに有名にしたのは1728(享保13)年に京都市山座で上演された歌舞伎「けいせい満蔵鑑」である。ここで元祖瀬川菊之丞が庄屋の娘おすまに扮し,手水鉢を鐘になぞらえ,手水掛けで打った所作が,後世の「無間鐘」の基準を成した。その後,同じく菊之丞の「傾城福引名護屋」(1731)や,大阪竹本座で初演された「ひらかな盛衰記」(1740大坂初演,1753江戸初演)が無間の鐘をきわめて有名なものにした。

 また小夜の中山は浄瑠璃歌謡としても広まり,江戸長唄でも「無間の鐘新道成寺」が採録された。その後も1766(明和3)年には近松半二作の浄瑠璃小夜中山鐘由来」が上演,1810(文化7)年には石川雅望策の読本で『梅か枝物語』が出るなど,無間の鐘をモチーフとする作品は次々に制作・上演された。

 

〇無間の鐘伝説の成立について

 その成立は遅くとも中世末までは遡る。中世にも無間の鐘の類型が甲斐の御岳金桜神社などにみられるが,そこでは,裁判や誓い事において嘘・偽りを述べて誓いをした場合には,一部始終を見ている神仏の裁きによって無間地獄に落ちるという世界観であった。つまり,鐘の前で虚偽の主張をすることは,現世では自分の立場を良くできるが,来世において無間地獄の苦しみに遭う

 この「現世での良い状態を得る」という部分が,現世での富貴へと変化して,近世の無間の鐘伝説になったものと思われる。同時に富貴は神仏へ直接願いを立てることであり,第三者的な神仏と接する裁判や誓い事とは事情が異なる。ここには,神仏への恐れの後退という中世後期の風潮も考えられよう。かつては人間を裁く恐れしたがう対象であった神仏が,近世には対等な契約を結ぶ存在へと変化したのである

 

 

6.音を出す器具と音の役割

 此岸と彼岸を結ぶ役割は,鐘だけのものだろうか。

 

 中山太郎は鈴を「神の声」を模した音を出すために作られたのだとし,神社の鈴は人が神に願ったことを神が受け入れたという証拠として聴くために鳴らされると主張している。また荻原秀三郎は,日本の神社の鈴は道教に由来し,天上世界の大神に聴かせることを目的としていると主張している。

 鈴は巫女が持つことが多く,巫女と神とを繋ぐものとして鈴を位置づけることもできよう。鈴は祭礼や神楽あるいは巡礼や占いでも用いられるが,これらは神の来臨を象徴したり,神に人間の行為を伝えるためのものとして考えられ,神仏との交信の手段としての鈴の役割が見出せる。

 

鰐口

 龍宮や水中などの他界からやって来たという伝承が多く,また『明徳記』における誓約の作法では鰐口を用いるよう指南されているなど,梵鐘と共通する部分が多い。

 

 時宗の半僧半俗の徒たち(通称・鉦打)が鉦を鳴らして踊念仏を行ったとされる。また近江の雨乞儀礼や,奄美大島の御嶽での祭礼にも用いられる例がみられる。さらに仏壇の鉦や鈴がひとりでに鳴り,知人の死を知らせるといった伝承も少なくない。

 

 鉢は寺院で用いられる打楽器で,最も有名なのは「信貴山縁起絵巻」で命蓮が法力によって鉢を飛ばすという故事であろう。中世には悪霊を退散する職業として鉢叩きが存在し,また『御伽草子』の「鉢かづき」という説では,鉢は長谷観音仏力の権化として描かれている。

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信貴山縁起絵巻 一部(平群町ホームページより)

 

ここまで金属製の楽器を検討したが,ではそれ以外の楽器はどうだろうか。

 

 南方熊楠や西口順子は,巫女が鼓を用いて神を呼ぶ習俗を指摘している。また『神道集』には予言能力を持った不思議な鼓の記述がある。信州の小谷地方では,異界の存在である河童が人さらいの前に祭をし,そのとき聴こえてくる鼓の音を河童の川鼓といって恐れるという伝承がある。

 

太鼓

 古来より太鼓自体が神聖なものとされ,雨乞に用いられることもある。また瀬戸の周防には虚空太鼓という伝承があり,水難事故で冥土の人となった軽業師たちが旧六月に太鼓を瀬戸に響かせるという。また天狗の伝承や雷様の童話に,太鼓はしばしば登場する。また1758(宝暦8)年に刊行された『斉諧俗談』では1361(慶安元)年に阿波で起きた大地震について記述されており,それによれば干上がった鳴門の海底に周囲30メートルにも及ぶ巨大な太鼓が置いてあり,試しに叩いたところ山崩れがあり潮が湧き出でて,その太鼓の行方は分からなくなったという。これは地震の音と太鼓の音が結び付けられたものであろう。

 

 『日本書紀』にはイザナミノミコトの葬儀で鼓と笛・幡旗を用いて歌い舞ったという記述がある。また『神道集』において,日本最高の笛といわれる青葉笛は鬼から取り上げたものとされ,この世のものではないとされている。また『御伽草子』の「梵天国」や狂言の「吹取」では笛の音が梵天国や神仏の世界に届いたとされているほか,猟夫金谷の伝承で,猟師が鹿笛を吹いて山の怪物を呼んでしまった,『牟書口碑集』には若者が浜で笛を拭いていると海に住む猩々が現れ,その腕前に感心して釣り具を与えたというものもある。

 

法螺貝

 山伏が修行に用いる例や,『紀州有田民俗誌』では雨乞に法螺貝を用いる例がある。

 

〇梓弓

 

〇琴

 

〇釜鳴り

 

〇音を出す道具の意味

 

 

12.時の鐘

(合図としての鐘の音/時刻を告げる鐘/時間観念の普及/時の鐘の普及/近世の生活の中の時間)

13.寺の増加と山のお寺

(民衆への仏教の浸透/一向宗日蓮宗兵農分離と寺院/近世の民衆生活と寺院/山のお寺)

14.鋳物師の増加

(梵鐘の増加/近世における各地の鋳物師の増加/全国的な鋳物師の動き/鋳物師増加の原因)

15.近世の危急を告げる音

(近世における危急の音/声を立てる/貝と拍子木/鐘/太鼓/板木/共同体としての鐘下)

おわりに

 

【考察】 

【出典】

・笹本正治「中世の音・近世の音―鐘の音の結ぶ世界―」名著出版:東京,1990年。